「生きるために特別の労力を必要としないのなら、あの膨ぼう大だいな知性と活力にも説明がつけられるだろう。生殖についてもそうだが、まるで生物としてのくびきから解放されたかのような存在だ。どれだけ文明を進歩させても、最後まで生物でしかなかった人類とは根本的にそこが違う。振り分けられるリソースの差が、すなわち可能性の差となって現れた結果、今の世代交代があるのかもしれんな」
「けっこう考えてらっしゃるんですね」
「こんなもの考えのうちには入らんよ。探求というのはもっと深遠なものだ」
「…………」
知識の面では、祖父には敵かないません。
学歴を持つ身としては懐いだかざるを得ない軽い嫉しつ妬とを、肩をすくめてみせることで散らし、再びリスト作成に戻るわたしです。
「しかしおまえは眉まゆが太いな」
ペン先がスケッチブックに突き刺さりました。
「……看み取とりませんよ?」
「おまえより長生きすると言っただろう」
キッチンに戻ろうとした祖父ですが、一度振り返って言います。
「ああ、そう、ひとつ言い忘れていたが」
「はい」
「妖精は個体と接している時と、集団でいる時とでは、まったく別物だと思った方がいい。群れた彼らは巨大な文化と科学の溶鉱炉だ。それはちょっとしたはずみで昇しよう華かするし、新文化は一いつ瞬しゆんで伝でん播ぱする。人には決して制御できない勢いで」
わたしは手を止め、顔を持ち上げました。祖父の言葉は続きます。
「単純に言えば、妖精はたくさん集まると面おも白しろいことをおっぱじめる、ということだ。人間以上の知性とリソースと効率と情熱を総動員してな」
「具体的には何が起こるんです?」
「わからん。どんなことでも起こり得る。彼らの間で何が流行しているのかは私にはわからん。調ちよう停てい官かんとして、おまえがひとつ飛びこんでみてはどうだ?」
「……おじいさん、前任者なんですから……その無責任な指導は……」
わたしの文句を無視して、祖父は言い切ります。
「おお、そうだ。もし行くというなら、その辞典ごと持っていくといい」
「とても重いんですけど?」
「持っていった方がいいと思うがね、私は」
含むような口調で祖父は笑いました。
「はい?」
翌日。またゴミ山を訪れます。
「え……?」
そこはゴミ山ではなくなっていました。
メトロポリスでした。
しかもSF未来予想図風。
ただしミニチュア・サイズ。
都市のミニチュアですからそれなりの大きさです。
以前ここにあった、見上げんばかりのゴミ山は、同じような輪りん郭かくを保ったままミニチュア摩ま天てん楼ろうへと置き換えられています。
高層建築物は皆レトロな未来派デザイン。
ビル間を無数の透明チューブが?つなぎ、中を未来カーが行き交っていたりします。
舗ほ装そうされた歩道を、大勢の妖精さんが忙しそうに動き回っています。
都市の中央にはセントラルタワーと呼ぶべき建物がそそり建っており、てっぺんには金こん平ぺい糖とうの仕掛けで用いた手作りの旗がひるがえっていました。
祖父の言うとおりです。
妖精さんは数が揃そろうと、すごいことをしちゃうんです。
にしてもですよ。
「……行きすぎです」
高度に発達した科学は魔ま法ほうと見分けがつかないそうですが、冗談とも区別がつかないことに気づきましたよ。
極小サイズの巨大都市に接近してみますと、これはずしんずしんと足音を響ひびかせて都市に攻め入る怪かい獣じゆうの視点ではないですか。
たちまち妖精さんたちはわたしの存在を察知しました。
警報がわーにんわーにん鳴り響きます。
「あら?」
都市中の妖精さんたちの動きが、一気に慌あわただしくなります。
怯おびえているのか単に慌てているのか区別がつきませんけど。
わたしは適当な広場まで進んで、そこで立ち止まりました。
「さてと……」
頭上五十センチほどの高度を複ふく葉よう機きが飛んでいます。
実際の複葉機とは異なる、どことなく玩具おもちやのようなシルエット。原色をべたべたと塗りたくった小児的カラーリング。特に攻こう撃げきするでもなく、ひたすら旋せん回かいを続けていました。土地のパニックを演出するかのように。
立ち尽くすわたしを、大勢の妖精さんが遠巻きに取り囲みはじめました。
どこか怯えがあるのか、一定の距きよ離りには寄ってきません。結果、わたしの周囲には円形の隙すき間まができあがり、何もないはずのそこには独特の緊きん張ちようが流れこんできたのです。
小さくてもこれだけ視線が集まると、少し緊張します。
妖精さんというのは、大変忘れっぽい気質で知られています。
たとえば彼らは、自分たちが万物の支配者であることを自覚していない節ふしがあります。だから人目を避さけて暮らす生活様式を変えることもなく、たまに接触する人間に対しては恐れ敬うやまいあるいは懐なつくといった、主従の従にあたるふるまいを見せるのです。
「あのー……こんにちは」
ざわざわざわ。
反応はありましたが、明確な言葉ではありませんでした。
「えーと、じゃあ昨日、わたしが送り届けた四人の妖精さんは、いませんか?」
今度は先ほどよりやや大きな反応。しかし対話は成立しません。
ざわざわざわざわ。
どうにもぎこちない空気がぬぐえません。やはり彼らとつきあうには、個体レベルの親交がどうしても必要になってきます。
「あのー……」
その時です。
左方にあるビルのひとつが、真ん中から割れて左右にスライドしていったのです。ビルの内部に待機していたのはロボットでした。
「???」
子供向けのアニメに出てくるようなデザインです。
ファイティングポーズを取っているところから、都市の防備なのでしょうか。
そんなものと、対たい峙じしてしまったわたしです。
よく見ると、頭部にある半透明ドームの内側に、妖精さんがひとり搭乗しています。パイロット?
装備されている拡声器からこんな声だか音だかが、
『ぜあっ!』
「……」
内心?あ然ぜんとしていたので、うまく反応できませんでした。
反応がなかったことに臆おくしたのか、少し弱気なイントネーションで。
『ぜあ?』
「質問?」
『……さー?』
不思議な生きものです。
『ところで、ぼくらのしてぃ、はいかがです?』
そのパイロット氏が、いきなりフレンドリーな態度で話しかけてきました。
「とても素す晴ばらしいシティですね」
『みんなあつまってきたから、なにかしようとおもったです』
で、都市が完成したと。
「でもそうですね、ひとつ言うとしたら……発展しすぎ?」
『え……?』
「昨日の今日ですから。もっと地道に進歩されても良かったような……くらい?」
『あー……』
コックピット内で、妖精さんがねろーんと項うな垂だれています。
「いえ、べつに良いのですけどね、このままでも。でもこういう都市ごっこじゃなくて、普通に居住として作った方が良かったかなと」
『……』
あ、落ちこんでる。
「と、ところでそれ、素す敵てきでスーパーなロボットですね」
くい、と持ち上げた面おもては、もう喜びで紅こう潮ちようしていました。
『みなさんのまごころでうごいてます』
「でもそれ、戦うためのものなんですか?」
『……あなたは、てきです? もしてきだと、こまりますけど』
「違いますよ」
『それだとへいわなままです』
コクピットの上部にプロペラが展開しました。
ローターの回転にともない、搭乗部分だけが頭部から外れ、ゆっくり浮上していきます。どうやら独立した小型ヘリコプターになっているようです。
「そ、それは?」
『とんでいけるはずです』
答えにならない答えを返し、ふよふよと飛んでいくのです。
『さよならです』
「さようなら……」
ヘリは飛んでいき、ビルは閉じました。
何事もなかったように。
「……ええと……」
困っていると、群衆が割れ、奥からひとりの妖精さんが歩み出ました。
「おや、なかたさん?」
昨日名付けた日系(?)妖精さん。
どこからイメージを引っ張ってきたのか、今日は灰色のスーツを着用し、首からカメラを下げてメガネをつけています。
「こんにちは。他ほかのお三方はどうされてますか?」
「みをまかせてるです」
「……何に?」
「さー?」
野の放ほう図ずな生き方なんですね。
なかた氏とわたしの会話を目まのあたりにして、民衆にどよめきが広がります。
「にんげんさんとはなしてる?」「やすやすとはなしてる?」「はなしすぎてる?」「とーくだ、とーく」「どないやっちゅうねん」
「あのー、それで、名前の件ですけど……」
なかた氏は首を傾かたむけます。
「なまえって?」
「……忘れちゃってましたか」
せっかく七十五人分までリストアップしたのに。
「ほら昨日、あなたたちを送った時、みんなにも名前が欲しいっておっしゃったでしょう?
その仲間のお名前を考えてきたんですけど……覚えていません?」
「あったようななかったような」
「ありました」
「なかったようなあったような」
「ありましたってば」
「あったようなあったような」
「あなたたちはメモすることを覚えるべきですね」
「きおくのはざまでゆらゆらゆれるです」
揺れないで欲しい。
「わかりました。もういいです。とにかく皆さんに名前をつけますから、今から一列に並んで……」
と、そこで気付きます。
よく見ると、民衆は広場を道路を埋うめ尽くしているのですが……これがどう考えても数千人以上いるのです。
「……おや?」
増えてる。
用意してきたリストはたったの七十五人分。
「そうか……地域中の妖精さんが集まってしまって……」
「まぜてー」「なにしてるのー?」「してぃごっこだー」「にんげんさんいるー!」「どしたのー?」「なにはじまる?」「なまえだー」「なまえかー」
そして今もなお、小刻みに増えていっている模様。
「ちょ、ストップ! 並ばないでください! 中止中止!」
とてもわたしひとりで賄まかなえる人数じゃありません。
手をぶんぶん振って行列を散らそうとしますが、時すでに遅し。長大な、それはもう長大な行列が、広場を起点としてはるか遠くまで伸びてしまっていました。さらに「すたっふ」腕章をつけた妖精さんがもうあちらこちらに立っており、列を誘ゆう導どうしたり、整理券を配ったり、座らせたり、あるいは立たせたりと、見事な列整理を行っているのを見るに至って、もう引き返せない領域に踏ふみこんでいることを悟さとりました。
「……あれあれあれー?」
おかしい。どこかおかしい。何かおかしい。
ひと瓶びんの金こん平ぺい糖とうからはじまったちょっとした試みが、とんでもない事態に発展してしまいました。
大勢を巻きこむトラブルの当事者が味わうであろう、胃が縮み上がるような感覚に、わたしはかいたこともない汗をかきます。ああ、軽率な約束などするべきではないのです。
もしここで逃げ出せば、妖精さんとの友好的な関係を築くことは到底望めないでしょう。もしかしたら彼らはすべて忘却してくれるかもしれませんが、数千人を一時でもいちどきに裏切るという選択は、想像以上の胆力を要するのです。
ひと瓶びんの金平糖。ひとにぎりの怠たい惰だ。ひとにぎりの野心。
ただそれだけの代だい価かで、わたしは彼らに途方もないエネルギーと技術の浪費を促すことになりました。一晩でこれなら、明日にはどうなっているんでしょう? この波がもし世界中に広がって、妖精さん社会に大きな爪つめ痕あとを残すようなことになったら?
……まずい。
だらだらと売るほど脂あぶら汗あせを流しながら、わたしは混乱のあまり脳内のお花畑(とても居心地が良いとうわさの)に逃げこもうとする理性を、渾こん身しんの意思で引き戻すのです。
「こんなことはじめてー」「なまえかー」「つけてもらえる?」「そういえば、なまえってあるとよいです」「べんりです」「どうしていままでなかったです?」「さー」「わからないね」「おもいつかなかた」「もうてんだた」
民衆は盛り上がっています。
なかた氏がわたしの肩によじのぼり、話しかけてきました。
「おなまえ、みんなに、つけるです?」
「……………………」
長い沈ちん黙もくの後、わたしはひとつの決断をしました。
「つけるですー?」
「……ええ、そうですね、そのつもりです」
心の中で懺ざん悔げだけすませておきます。たぶん足りないと思いますので、なんだったら分割でも構いませんよ、本物の神様?
わたしはスタッフ妖精さんをひとり手招きし、列をできるだけ遠くにやらず、広場に押しこむようにお願いします。
「あいさー」
快こころよく引き受けてくれました。
実に野の放ほう図ずに見える妖精さんですが、その気になれば一糸乱れず集団行動をすることができるようです。列がうずまき状に巻き去られ、広場に圧縮されるまで、三分もかかりませんでした。
すべての妖精さんが、わたしの目の届く範囲に集結しています。
今がチャンスでした。唯一無二の。ありとあらゆる不具合をうやむやにしてしまうための。そう、謎なぞに包まれた妖精さんとはいえ、いくつかはわかっていることもあるのです。わたしにはそれなりの知識欲があり、学舎がくしやにはそれを満たしてなお余りある蔵書と生徒より数の多いおせっかいな教授陣がいました。人間関係が不得手なわたしは、持てる時間の多くを渉しよう猟りようにあてましたし、教授陣はひとり残らず「病的教えたがり」でした。この頭の中には十年以上をかけて積み上げられた無む駄だで雑多な知識が、尖せん塔とうのごとくそびえ立っていたりするのです。
たとえばそのひとつに、彼らが破裂音に弱いという情報があります。
わたしは両手を大きく広げ、勢いよく閉じました。
ばちん。
広場に絶対の静せい寂じやくが訪れました。
ざわめきの元になっていた妖精さんたちは、ひとり残らずいなくなっていました。逃げたのか? いいえ、違います。彼らは一歩も移動してはいません。そして渦巻き状の行列があった場所には、かわりに、数千個のカラフル球体が転がっていました。
たいへんシュールな光景です。
わたしの肩からも、灰色の球体がひとつ転げ落ちていきました。
これは?丸まり?という妖精さん独特の習性です。
びっくりすると身を守るため丸くなるのです。膝ひざを抱えているだけではなく、ちゃんとしたボール状。ダンゴムシと同じです。
本当に危険な生物から身を守れるのかは疑問ですが、とりもなおさず危機は去りました。
「ごめんなさい皆さん。約束は反ほ故ごです」
今のうちに逃げるしか。
持参してきたバッグを手に取ります。ずっしりと重いそれを。
重い?
そうでした。祖父に言われ、人名辞典を持ってきたのでした。異様に分厚く重く、鈍器のようなそれを。
「…………」
祖父の意図が、今ようやく理解という形をともなって浮かび上がってきました。
わたしは震ふるえる手で、辞典を両手で掲げます。天高く持ち上げられた辞典は、神こう々ごうしく輝かがやいているようでした。
丸まり状態からほどけた妖精さんたちが、広場のあちこちでぼんやり座りこんでいました。睡眠も兼ねているようで、目をこすって欠伸あくびをしている方もいます。
おそらく命名に関する騒さわぎは、何も記き憶おくしていないことでしょう。
なかた氏がよたよた歩いてきます。
「それなんですー?」
「これが、贈り物です」
「ほー?」
なかた氏の黒々とした瞳ひとみには、辞典を掲げるわたしの姿がくっきりと映りこんでいました。
「この人名辞典から、あなたたちは好きな名前を選ぶのです」
丸まりから復帰して集まってきた妖精さんたちに厳おごそかに告げ、辞典を置きます。
「はー……」
わたしを見つめる妖精さんたちの目は、無む垢くな感動に潤うるんでいました。どこか宗教的にも受け取れる恍こう惚こつを含んで。
「にんげんさんは、かみさまです」
なかた氏が震える声で呟つぶやきました。
「で、例の件はどうだったね?」
食卓を挟んで、祖父が問いかけてきました。
「辞典をプレゼントしてしまったんですが……」
この回答は予想していたのか、祖父は「そうか」とうなずくだけで、特別咎とがめる様子もありません。
「すごい都市化が進んでましたよ。たった一晩で」
「人口が増えると相乗作用でな。そうなると場の楽しい度は増し、妖精はさらに増え、発展はさらに加速し……そのあとは雪だるま式だ」
スープ皿に浮かぶじゃがいもを、口に運ぶでもなく弄もてあそびます。
「今日のスープはお気に召さないか?」
「いえ、ちょっと気になっていることがあって」
「というと?」
「……心に引っかかっているだけで、具体的にどうとはわからないんですけど」
なんでしょうね、この不安は。
不安の正体は、メトロポリスを訪れた時に判明しました。
昨日と変わりないように見えて、一箇所だけ異なっていた点があったのです。
「んな──!」
とうてい看過できない変化でした。
あのロボットが収納されていたビルが撤てつ去きよされて、かわりに、彫像が飾られていたのです。
いえ、彫像というよりは……女神像。
そう、これは女神像。
わたしの顔をした。
「ちょっとー!」
民族の象徴にされてしまったのです。
「問題になりますからー!」
女神のわたしは、両手で辞典を掲げていました。
「あー、かみさまー」
なかた氏が出てくると、連れん鎖さ的てきにお仲間も姿を見せ始めます。
「かみさまかみさま」「かみさまー、おっはー」「きょうもかみさまきたー」「わーい」
神扱い。
「そうか、不安はこれですか……」
熱しやすく懐なつきやすい妖精さん。
わたしのした何なに気げない行為はある意味創造的であり、結果として彼らの社会に崇拝の概がい念ねんを生み出してしまったようです。
もしこの流れが、雪だるま式に、世界中の妖精さんに伝わってしまったら?
妖精さんの歴史において、わたしが神として君臨することになってしまいます。
「……むう」
はっきり言って問題です。
世が世なら大問題だったでしょうね。
わたしは足下で両手をぶんぶん振っているなかた氏を見下ろします。おもむろに手を伸ばし、ぴと、とつるつるしたおでこに指を当てます。
「……うん?」
「はいタッチ。次はあなたが神様」
「えっ?」
ががーんと、なかた氏は驚きよう愕がくの面おも持もち。
「えー? ぼく、かみさまですー?」
「そうですよ。だってタッチしたんですもの」
「なんとー」
「わたしは神様いち抜け」
「いちぬけ……?」
なかた氏のメガネが曇くもりました。
よろめき、わたしの爪つま先さきにぺとり手を置きます。
「どない?」とでも言うような表情で、上目遣いに様子をうかがいます。
「残念。同じ人はもう神様にはなれないですよ。だからわたしにタッチしかえしても無む駄だなのです」
「ままならぬですね?」
「いやまったく。さあ皆さん、早く逃げないと本当に神様にされちゃいますよ」
周辺の妖精さんたちが、ビクリと身を震ふるわせました。
「なかたさんもどうします? このままだと神様ですよ?」
「え、あ、えー……」周囲を見渡して、「かみさまやーだ──────っ!」
仲間のもとに駆け出しました。
神の概がい念ねんは一転して悪鬼のそれとなったのです。
このあたり、人間の神話の歴史とも一致していて、なかなか民族史的には面おも白しろいかもですね。
「わー!」「かみさまきたー!」「かみさまがくるー、くるですー」「にげにげするですー」「かみがうつるー」「たいへんだー」「ぴ────っ!!」
散り散りになって逃げていく妖精さんたち。
「まーたーれーよー!」
追いかけるなかた氏。
鬼ごっこの様相を帯び、神権のなすりつけあいがはじまりました。
「さすが素早い」
本気になるとリス並みに駆け回れる妖精さんです。
鬼(神?)ごっこはとても目まぐるしく、目では追い切れないほどのスピードで展開しました。
空こそ飛ばないものの、ミニチュア建築物に登り、穴があれば潜もぐり、立体的に逃げ回るのですから大変です。
神が、忌いまれるというのもおかしな話ですが、似たようなことは人間もやってきているのですしね。
いえ、まったく問題がないとは申しませんが……。
でもこれで、宗教概がい念ねんの中核にわたしが据えられることは回かい避ひできるはずです。
「ぴ───っ!」「うぴ──っ!」「ふあ───っ!」「かみ──っ!」「ごっど──っ!」「いまはだれがかみーっ!?」「たーっち、た────っち!」「きゃい───っ」「あなー、あなどこー!?」
すべての妖精さんがいなくなるまで、十分かかりませんでした。
ここに、都市国家は瓦が解かいして果てたのです。
同時にそれは、調ちよう停てい官かんとしての職務にもリセットがかかったことを意味します。
「……まあ……悪名を残すよりはましですよね……」
改めて女神像を観察してやります。
「ほう、こうなったか」
「お、おじいさん?」
突然背中を叩たたかれ、わたしは喉のど元もとからくぐもった声を発しました。
祖父はにやにやした笑みを浮かべて、背後に立っていました。
「様子を見に来たのだが……どうやらもう彼らはひとりもいないらしいな」
「今さっきまでいたんですけどね……」
隣となりに並んだ祖父の視線が、女神像を無ぶ遠えん慮りよに眺めます。
「十じつ戒かいのイメージに似てるな」
「聖書の?」
「うむ。石版を割るモーゼのシーンか。あるいは神から石版を授さずかったシーンかもしれないが」
「……つくづく宗教づいてたんですね」
「よほど好かれたようだな、おまえは」
わたしは両手を広げ、皮肉げに告げます。
「皆いなくなってしまいましたけどね」
「いや、放っておいてもどのみちこうなっただろう」
「……え?」
「彼ら妖精には、集しゆう合ごう離り散さんの性質があってな。集まればこのように一夜で都市のひとつもこしらえるが、すぐに飽きて散り散りになってしまう」
「これだけのものを作っておいて?」
「彼らにしてみたら、小手先の工作のようなものだろうな。このくらいのものは」
祖父はかんらかんらと笑います。
「これが今の人類のスタイルというわけだ」
「なんだか、楽しそうですね……」
「毒にも薬にもならんと思っていた孫が、それなりに面おも白しろくなって戻ってきたせいかもしれんな。数日でこれだけやらかすとは、見直した」
「…………」
嬉うれしくない誉ほめ方ってあるんですね。
「第一、覚悟しとけと言ったろうに」
「言われましたけどね……」
「こういう相手とつきあっていくには、それ相応の緩ゆるさが必要だということだ」
また背中を叩たたかれ、わたしはつんのめって女神像に縋すがりつきます。
像はゆっくりと倒れ、いともたやすく砕け散ってしまいました。
それを見て、また祖父は大笑い。
この老人、超嬉しそうなんですけど。
膝ひざから力が抜けていきそうでした。
ああ、こんなことなら。
「……最後まで女神様として君臨しておけばよかった」
これが、わたしの調ちよう停てい官かんとしてのはじめての仕事と、その?てん末まつでした。
妖精さんメモ【集合離散(しゅうごうりさん)】
妖精さんは普ふ段だんはばらばらに生活していますが、一度群れを作ると、
爆はつ的に増えていきますよ。
でも、かい散するときは一いつ瞬しゆんです。
これを集合離散の性質といいます。
妖精さんの、あけぼの
人類がゆるやかな衰退を迎えて、はや数世紀。
すでに地球は?妖精さん?のものだったりします。
平均身長十センチ。
三頭身。
高い知能。
無邪気な性格。
失禁癖へきあり。
極めて敏びん捷しよう。
現在、人類と言えば妖精さんのことを指します。
わたしたち旧人類はただの人です。
妖精さんの人口は正確な調査によるものではありませんが、百?二百億くらいはゆうにいるのだそうです。
まだ人類新学という妖精さんに関する学問が比較的盛んだった頃ころの予測値ですから、今はもっと増えているかもしれません。
一方、わたしたち旧人類ですが、すでに億はいません。もう長くないですね。
国家は崩ほう壊かいしていますし、文明レベルも下がりに下がってますしね。
妖精さんの生態・出自・文化は謎なぞに包まれています。
様々な伝承・民話・お伽とぎ噺ばなしなどに、その存在を垣かい間ま見みることはできます。まだわたしたち人が幅をきかせていた時代から。
しかし妖精さんが何をきっかけとして地に満ちたのかは謎です。
もちろん彼ら自身も知りません。
記録にも残っていません。
彼らはその気になれば高度に文字を扱えますが、書き残すという習慣がまったくありません。
妖精さんは、のんべんだらりと地球中に生きています。
そしてわたしはクスノキの里さと担当の国連調ちよう停てい官かん。
調停官というのは国際公務員ですね。
国連調停理事会に属し、妖精さんと人間との間に起こる様々なトラブルを調整するのがお仕事でした。
はい、過去形です。
今はもう調停の必要なトラブルなどは、ほとんど起こることはありません。
わたしたち人からは、もう強い感情が失われているのです。
人口が少なくなったこともあり、人々は豊かな大地を故郷とし、そこでひっそりと暮らしております。
ガリガリガリガリ。
ガリ版用の鉄筆が原紙を切る音が、延々と事務所に響ひびいていたのも数日のことでした。
前回の騒さわぎの後、わたしが明け暮れたのは、報告書の原稿作りでした。
報告といっても格式ばったものではなく、事務所に残されていた資料にならって書き上げたほとんど日記と大差ないようなもので、まるで仕事をした気分はなく。
さしたる苦労もなく脱稿してしまったあとの、イラスト描きの方にかえって時間が取られたくらいです。
送付用と保存用に印刷し、早くもやることがなくなっていました。
「おじいさん、仕事ください」
珍めずらしく事務所のデスクでうつらうつらしている上司に詰め寄ります。
「うむ、ない」
「ないことはないでしょう」
「だが、ないのだ」
「閑かん職しよくだとは聞いておりましたけど」
「なら掃除でもしてくれるか」
「昨日しました」
ちなみにおとといもしました。
「そのわりには、今朝がた私が来た時、ゴミが落ちていたがね」
「姑しゆうとめさんみたいなこと言わないでください。楽でクリエイティブな仕事ください」
「小こ癪しやくな若わか造ぞう発言を……」
困ったように祖父は腕を組みます。
「フィールドワークで手を打つか」
「実質、自由行動じゃないですか、それ」
「我が事務所は自主性を重んじている」
「主体性なき指導ですね」
「そういうのは自給自足で頼たのみたいがね。さて、私は午ご睡すい業務にとりかかるか」
猛烈に仕事じゃありません。
「あの、おじいさんは最初、どのように仕事してらしたんです?」
「私のいた頃ころは事情が多少違ったからな。まあやることはあったんだ。それでも妖精関連は今とそう変わりはなかったぞ。彼らと定期的に接触を取っていくのは難しいからな」
前回の労苦と?てん末まつを思い返し、わたしはため息をつきます。
「……そうですね」
祖父は何事かを思いついたようで手を打ちます。
「なら、ちょっと使いに行ってもらえるかね?」
「え、それは……仕事なので?」
「仕事だろう。知り合いというのが私の助手だ」
「ああ」
思い出します。
祖父にはすでに助手がいるのです。
つまりわたしの先輩にあたる方なのですが。
「獣けもののようなむくつけき男性でしたっけ?」
「理想的な若者像だな」
「やあ、思いだしました。今日は野に出ます。妖精さんの文化研究をしなければならないのでした」